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長田弘の詩集のこと7

引き続き「バラッド第一番」について。この記事で終わるかな? ひとまず、前回の続きの部分を、少し長くなるが引用しておこう。

さてこそ、
三色スミレを肴に
そこの屋台で
冷酒をやろう。
あたたかな小便をしよう。
手帳と電話は
きらいだ。
疑いを疑い、
夜は
羊の小腸をかじって
拳銃の詞華集を読む。
物語の中で人は死ぬ。
あっちにも石、
こっちにも石、
いたるところ墓だ。
うつむくか
横をむくか
怒鳴ろうか
仕事―言葉。
求ム―希望。
転ばぬさきの
知恵はない。
猫好き。
子供と
鳥打ち帽を愛す。
それからうつばりの塵飛ばす唄。
気が憂い日は
クルト・ヴァイルさん、
あんたの二束三文オペラをきく。
うそ寒い日には
ともかくも詩。
キューッと熱いやつ、
空っ腹にこたえる詩。

(「バラッド第一番」『長田弘全詩集』)

こう長く引用する必要があったのは、見れば分かるように《さてこそ、/三色スミレを肴に/そこの屋台で/冷酒をやろう。》というフックが仕掛けられてから、その響鳴の対象としての《うそ寒い日には/ともかくも詩。/キューッと熱いやつ、/空っ腹にこたえる詩。》が登場するまで、あいだに25行もあるからだ。詩を書いたり読んだりするとき、このような仕掛けはすぐに思いつくし、すぐに気づく。あいだに何行あっても、気づく。これは考えてみれば不思議な話だ。それから、《三色スミレ》はもうひとつの響鳴対象を持っているのだけど、もう少し後でこれに触れる。語義の解説をすると、《うそ寒い》とは「薄寒(うすさむ)」「うすら寒」のことで、俳句では【うそ寒】が晩秋の季語になっている。ちなみにスミレ(【菫】)は三春の季語。

あとは細かく見ていく。

手帳と電話は
きらいだ。

《手帳と電話は/きらいだ。》とは、長田弘の自己紹介。ちなみに、晶文社版『メランコリックな怪物』と『言葉殺人事件』の表紙の内側(いわゆる「表2」)には、ほぼおなじ文言が使われている:

長田弘 路上派。困難な時代の歌をうたって新しい世代に大きな影響をあたえてきた。詩集『メランコリックな怪物』など。きらいなもの、手帖と電話。好きなもの、コーヒーとキャベツとフクロウ。兎年。詩を読まぬ人びとのために詩を書くことが、この詩人の仕事である。

(『言葉殺人事件』)

『メランコリックな怪物』の方では、とうぜん《詩集『言葉殺人事件』など。》となっている。他に、《手帖》が《手帳》になっている。ちなみにこの記事を書いている僕も手帳と電話は嫌いである。

疑いを疑い、

《疑いを疑い、》という言い回しは、いちど《いやさ》と否定された(前回記事を参照デカルトの態度を思い起こさせる。私は考えている、いや、考えさせられているのではないか、と疑う、いや、疑っていると思い込まされているのではないか、と疑う、というコギト。

夜は
羊の小腸をかじって
拳銃の詞華集を読む。
物語の中で人は死ぬ。

《羊の小腸をかじって》とは何だろう。たんなるソーセージのことか。元ネタ不明。

《拳銃の詞華集を読む。》はもっと不明。もっとも元ネタがありそうなフレーズなのに、不明。詞華集とは花束に例えられる詩のアンソロジーのことだが、長田が60年代に惹かれたという吉川幸次郎『宋詩概説』のことか(岩波文庫から復刊されている)。しかし《拳銃の》とは? 直後の行が《物語の中で人は死ぬ。》となっており、たんじゅんにミステリ小説のことかもしれない。『言葉殺人事件』には「探偵のバラッド」があり、晶文社版の注釈では《ケネス・フィアリング『大時計』に、一つの手がかりが匿されている》とされている(これってネタバレじゃないのか?)。『全詩集』に所収の「場所と記憶」には次のようにある。

また、新書版として当時刊行中だった『中国詩人選集』(岩波書店)の一巻をなす吉川幸次郎『宋詩概説』によって、宋詩につよく惹かれる。宋詩は、絶望や怨念の誘惑にすべらない。人生をながい持続とみ、静かな抵抗とみる。なかでも惹かれたのは黄庭堅。あらゆるものの価値が交替していった一九六〇年代という十年の時代の経験のなかで、宋詩を傍らに置いて読む日々がなかったら、後に、『言葉殺人事件』のような詩集を書くことはできなかった。

(「場所と記憶」『全詩集』627頁)

でもまあ「拳銃の詞華集」ではない。

あっちにも石、
こっちにも石、
いたるところ墓だ。

《あっちにも石、/こっちにも石、/いたるところ墓だ。》の「石」とは、「言葉」のことだろう。なぜなら、「言葉のバラッド」には《言葉だ、言葉が/きみの卒塔婆》というフレーズが出てくるから。このように、一つの詩のなかでの響鳴だけでなく、一冊の詩集のなかでの響鳴も鳴り響いているし、複数の詩集の時代を飛び越えた響鳴もある。たとえば「あのときかもしれない」と「花を持って、会いにゆく」の関係、「一冊の本のバラッド」と「蔵書を整理する」の関係などがそうだ(そういえば、明日の朗読会で、これらはすべて読まれますねえ)。

ただ、「石すなわち墓」という飛躍が楽しい。

うつむくか
横をむくか
怒鳴ろうか
仕事―言葉。
求ム―希望。
転ばぬさきの
知恵はない。
猫好き。
子供と
鳥打ち帽を愛す。

この辺も不明。たんに「どこかから無造作に引用してきた」という感触だけがあって、その感触とリズムとがあいまって、心地よさを生じさせている。

それからうつばりの塵飛ばす唄。

平安末期に後白河法皇によって編纂された、今様歌謡の集成『梁塵秘抄』。今様に熱中した後白河法皇は喉を痛めた、と史書にある、とWikipediaにあった。長田が参照しているのは佐佐木信綱校訂版。「梁塵」とは、名人の歌は梁の塵さえも飛ばした、とする故事から。

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気が憂い日は
クルト・ヴァイルさん、
あんたの二束三文オペラをきく。

晶文社版の注釈によれば:

クルト・ヴァイル(一九〇〇~一九五〇)。二束三文オペラ(Die Dreigroshenoper.音楽クルト・ヴァイル、詩ベルトルト・ブレヒト。レコード演出ロッテ・レーニャ、指揮ヴィルヘルム・ブルックナー=リューゲベルグ、演奏ベルリン自由放送、ドイツCBS盤による)。

とあって、数回前の記事で《この「注」全体が、言ってみれば「警戒を要する」ように書かれている》と言ったように、ここも何食わぬ顔で変なことを書いている。言及されているのはいうまでもなく、ブレヒト原作『三文オペラ』で、クルト・ヴァイル作曲の音楽劇である。Dreigroshenoperを直訳すると「3グロッシェン・オペラ」で、Groshenromanと言えば「三文小説」という定訳があり(英語でいうパルプ・フィクション)、Groshenblattと言えば「三文新聞」という定訳がある(辞書に)。ここの何が変なのかというと、「二束三文」という日本語の「取るに足らない」という意味の慣用表現と、「三文~」という慣用表現をごちゃに使っているところ……と解説するのも無粋なのだが。あまりにも何食わぬ顔なので、昔は「二束三文オペラ」と訳されていたのだろうか、と疑って、国会図書館で検索してみたが、日本に輸入・翻訳された当時から、『三文オペラ』である。これが何とも言えない微妙な感覚を産んでいるのは、そもそも「三文オペラ」と名付けられたのは、「取るに足らないオペラ」という意味をもたせたかったからで(ブレヒトの意図)、長田の「二束三文オペラ」という造語は、じつは、よりうまい訳、かもしれないからだ。でも、ねえ、「二束三文」まで言わなくたって、とは思う。

このあとに《うそ寒い日には~詩》という上で触れたフレーズが来る。続きはこうだ。

希みは芸術じゃない、
赤新聞も与り知らぬ
赤詩集一冊。
つまりは、
一つ覚えの二の舞いの
三角野郎にささげる
四面楚歌。
身は身でとおす
笠の内。
絶対に陽気でなければならぬ。
元気にしていて
ある日にはもう
死んでいるのだ。
北枕。
朝まで眠り、
怠ける権利がある。
ぼくは
サソリ座の兎にして
山猫スト主義者だ。
革命はない。
ない革命がある。
あゝ、
始末がわるいよ。
おれたちの言語には
否定主語がねえんだよ。
まったく
雨の降る日は
天気がわるい。
夢は、
三界の首っかせだ。
蛇の道はへび、
服従することは
学ばなかった。
二百本ほどの骨でできてる
一ツ身。
それだけしか
いつも持ち合わせがなかった
いまも。

(「バラッド第一番」『長田弘全詩集』)

ここはひとつひとつ見ていこう。

希みは芸術じゃない、
赤新聞も与り知らぬ
赤詩集一冊。

色彩名が多用される作品は、『言葉殺人事件』だと、「戦争のバイエル」に次のようなフレーズがある。

赤をおそれ、
赤紙をおそれ、
赤心一ツ。
赤の他人の
赤子は遥かに死んだ。
すると、白い手が、
白旗を爪んだ。
白昼、
白々しくも
白をきって。

われわれの
旗。
……………
白地に赤い
死者の血。

赤と白のコントラストに「旗」ときて、「戦争のバイエル」というぐらいだから、どうしても日本の国旗を思い浮かべてしまう。ほのめかされているだけだとは言え。それに対し「赤新聞」とはどう考えても『赤旗』のことであろう。知らないけど。で、日本共産党が与り知らぬ赤詩集、と言われても、なんのことだかさっぱりわからない。中野重治の詩集じゃないよ、というのだけは確か。もちろん、ここに意味はない。

つまりは、
一つ覚えの二の舞いの
三角野郎にささげる
四面楚歌。

長田は色彩名だけでなく、数詞も頻繁に使う。まさにマジックリアリズムの先取りである。かどうかはともかく、例えばこの詩の最後の方は

三界の首っかせだ。
蛇の道はへび、
服従することは
学ばなかった。
二百本ほどの骨でできてる
一ツ身。

で、やはり三二一と数詞が続く。上で保留しておいた《三色スミレ》の響鳴先としては、《二束三文オペラ》があり得るし、《赤詩集一冊》もあり得る。《一武器商人》が詩の冒頭で出てきたことも思い出す。もしかしたら、《三色》《二束》《一冊》という数詞のセリーなのかもしれない。

身は身でとおす
笠の内。
絶対に陽気でなければならぬ。
元気にしていて
ある日にはもう
死んでいるのだ。
北枕。
朝まで眠り、
怠ける権利がある。

ここはよく分からない。朝までしか眠らないのなら、怠けたことにならないのでは? という不条理さの感触。

ぼくは
サソリ座の兎にして
山猫スト主義者だ。

長田弘、兎年生まれのさそり座。山猫ストというのは、組合の認可を得ていないストのことで、一匹狼の印象を与える言葉。19世紀アメリカの「山猫銀行」が語源らしいが、山猫は一匹で行動し、遠吠えをするらしい。まあ、意味はない。

革命はない。
ない革命がある。
あゝ、
始末がわるいよ。
おれたちの言語には
否定主語がねえんだよ。
まったく
雨の降る日は
天気がわるい。

『言葉殺人事件』はマザー・グース色の強い詩集だが、この詩篇の中でマザー・グース色が強いのはこの部分。《革命はない。/ない革命がある。》を英語で言うと、There are not revolutions. There are no revolutions.で、どっちもほぼ同じ意味になる。が、日本語で「ない革命がある」というと変な日本語になる。ゆえに《あゝ、/始末がわるいよ。/おれたちの言語には/否定主語がねえんだよ。》ということになる。いくつか前の記事で書いたように、and then there were…というフレーズを、ゼロになるまで続けられる英語と違って、日本語ではゼロのときは「そしてだれもいなくなる」としなければならない。そういえば「そして誰もいなくなるバラッド」も、《とに革命、かに革命!》ではじまる、革命をめぐる詩篇だった。その意味で、「バラッド第一番」は、『言葉殺人事件』の「とてもぶっちゃけたあとがき」と言えるかもしれない。さらに、《雨の降る日は/天気がわるい。》というマザー・グーストートロジー! 徹底していて素晴らしい。

夢は、
三界の首っかせだ。
蛇の道はへび、
服従することは
学ばなかった。
二百本ほどの骨でできてる
一ツ身。
それだけしか
いつも持ち合わせがなかった
いまも。

数詞、三・二・一が連続する点については先に触れた。《三界》とは仏教用語で「欲界・色界・無色界」のこと。あるいは「三千大千世界」のこと。1977年の晶文社版では、ここは《三がいの》と、漢字はかなに開かれていた。変更した意図は分からない。成人の人体の骨は過不足なければ208本らしいが、なんと個人差があるらしい。《一ツ身》とはふつうは乳児用の着物のことだが、ここでは一つの身体、という意味にもなっている。この手の、韻と字面を利用したダブルミーニングも長田が多用している手法で、たとえば「言葉のバラッド」だと《字書きの恥かき/やちほこの紙反古//おゝ、なんと/一切は一切れだ//日暮れの野暮は/もはやヘボ》みたいな、滑らかな「意味の滑り込み」というべきライムのノリがグルーヴを生んでいる。ところで、《やちほこの神》とは大国主命で、「神」が「紙」に掛かって、「反故紙」に掛かるのだけど、「神」の発音は「/カ|ミ」(頭高型のアクセント)で「紙」は「カ/ミ\」(平板式アクセント)であり、朗読という観点からすると、別の言葉なんだけどなあ、と思っていたら、「ブラタモリ」で、広島にある「白神社(しらかみしゃ)」の語源を説明していて、もともとは、船が座礁しないように白い紙を目印に立てていたらしい(広島は三角州で、遠浅の海がひろがる)。ということは、「紙」と「神」の混同というか、縁語関係は、わりと古くからあったのですね。

という感じで、「バラッド第一番」をめぐっていろいろ書いてきた。この作品の良さは、指より言葉が速い、というテンポ感にあって、いろいろ意味(シニフィエ)を探る営みは、無駄かもしれないし、無粋かもしれない。けれど、このテンポを生み出しているのも、「我なきところで我思う、ゆえに、我思わぬところに我あり」のような、一瞬、「え、何言ってるの?」と戸惑わせるような変な言葉遣いなのである。だから、何度口にしても心地よいし、僕なんかは暗誦してしまった。そういえば、ぼくにとって、生まれて初めての、全体を暗誦できる詩篇がこれなのだった。

(気が向いたらつづける)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと6

「バラッド第一番」の続き。

傷口のある頭で
かんがえる。
われ思う、
故にわれあり。
いやさ
われなきところで
われ思う、
故に
われ思わぬところに
われあり。
祝うべき
いわれはない。
いまここに
あることだって、
はげしい
冗談。

(「バラッド第一番」『長田弘全詩集』)

《われなきところで/われ思う、/故に/われ思わぬところに/われあり。》の5行について、晶文社版オリジナルには、注釈がついている。いわく《ラカンの定義。坂部恵『仮面の解釈学』による》。オーケー。『仮面の解釈学』には2009年に出た新装版があるが、僕の手元にあるのは1976年版で、長田もここから引いたものと思われる。では坂部恵の本から、該当箇所を探そう。1976年版だと184頁。第4部「しるし・うつし身・ことだま」の第1章「しるし」。

こうして、しるしの出現は、主体の不在あるいは死においておこなわれる。「われなきところでわれ思う、ゆえに、われ思わぬところにわれあり。」(ラカン「精神病の治療をめぐる二、三の問題」、『エクリ』所収)(『仮面の解釈学』、184頁)

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さて、ここで意外な困難に出くわす。これはもしかしたら新装版の『仮面の解釈学』では修正されているのかもしれないのだけど、ここからラカンに引用を遡ることができない。なぜなら、『エクリ』(Écrits)には、このタイトルの論文(ないし講演録)は収録されていないから。どういうことなんだ。フランス語版Wikipediaには、『エクリ』の項目があって、おおむね目次通りに解説されているのだけど、「精神病の治療をめぐる二、三の問題」にいちばん似ているタイトルは、"D'une question préliminaire à tout traitement possible de la psychose"かと思う。でも、"D'une question"だから、「一つの(とある)問題について」だよね? 僕が間違ってるのかな? 『仮面の解釈学』が出た1976年には『エクリ』の邦訳はまだ出ていなくて、翌1977年を待たなければならない。で、1977年の邦訳『エクリ』第2巻に「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的な問題について」が訳出されている。ふつうに読めば、この邦訳タイトルでよいと思うのだけど、「二、三の」っていうのは、どこから出てきたのだろう? で、気を取り直して、この「問題について」をめくっても、該当するような箇所は出てこない。実は、これのひとつ前に収録されている「無意識における文字の審級、あるいはフロイト以後の理性」("L'instance de la lettre dans l'inconscient ou la raison depuis Freud")に、該当箇所がある。

つまり、私が聴講のみなさんをちょっとの間まごつかせた言葉を、つづめて言えばこうです。私は、私の存在しないところで考える。それゆえ、私は、私の考えないところに存在する。この言葉が、機能を一時停止した耳という耳に聞かせてくれるのは、言葉の駆け引きをめぐる意味の輪が、ババ当てゲームの混乱のなかでどうやってわれわれの目を逃れていくかということなのです。
申し上げなくてはならないのは、私が私の考えにもてあそばれているような場所には、私は存在していない。私は私が考えると考えていない場所で、私がそうであるものについて考えている、ということです。

(『エクリ II』弘文堂、268-9頁)

このラカンの言明自体、なんだかよく分かんないなあ、というものだけど、ひとまず置いておく。とにかく、引用の引用に遡っていくと、滞る。この不可思議な(おそらくは意図されたわけではない)「経路の滞り」は、とてもラカン的な事態だと思うのだけど(というよりも、デリダ的かもしれない。『仮面の解釈学』ではデリダラカンが頻繁に参照される)、でも「バラッド第一番」にとっては、あまり重要なポイントとは言えない、かもしれない(し、重要なのかもしれない)。むしろ「言葉」についての詩集であり(そうでない詩集があるのか否か、知らないけど)「言葉」というシニフィアンをタイトルに持つ『言葉殺人事件』という詩集にとって、重要なポイントかと思う。ただまあ、今は、その点について議論している時間はない。だって明日、朗読会本番だし。

で、よく分かんない、ラカンの「我なきところで我思う、ゆえに、我思わぬところに我あり」ってどういう意味なのかだけ、かんたんに説明したい。できるかな。いちおう、チャレンジしてみる(詩にかかわるひとなら、これはあるていど理解しておいたほうがいいと思う。自分のものではない借りてきた言葉を扱うわけだから)。目標は一段落から二段落で。ラカンという精神分析家が画期的だったのは、人の心はシニフィアンでできている、という単純明快なテーゼですべてを解釈してしまったところにある(この考えは、フロイトにも遡れるけれど、フロイトの場合はもう少し要素が増える)。と言っても、ラカンの考えは、時期によってかなり変貌していて、それを追うだけで大変なことになるし、もともとのテーゼが単純であるほど、説明のプロセスは複雑怪奇になっていって、しまいには誰も理解できない、というところまで行ってしまう。が、ここでは、一般的によく知られている点に絞って説明する。まず「シニフィアン」って何かっていうことですが……signifiantです。これは「意味する」を意味する動詞signifierの現在分詞であり、「意味するもの(こと)」を意味する。英語で言うなら、signifyという動詞の現在分詞signifying(ただし記号論の文脈では、英語にはsignifierという用語があるので、字面だけなら、めちゃくちゃややこしくなる)。過去分詞もあって、これが「シニフィエ」signifiéで、「意味されるもの(こと)」を意味する。むかしラカンが輸入されたときに、ラカン理論に奇妙な、変な印象を与えたのは、ふつう、シニフィアンシニフィエシーニュ(signe)(日本語で言うと「記号」)のふたつの側面のことを言ったもので、そのうちシニフィアンだけ取り出してうんぬんするなんて、誰も考えていなかったから。Wikipedia「シニフィアンとシニフィエ」という項目でもそうなんだけど、だいたい、丸を描いて、横棒で分割して、木のイラスト(これがシニフィエ)と、「木」とか「tree」とかの文字が書いてあって(これがシニフィアン)、この結びつきのことを「シニフィカシオン」なんて言ったりした(ソシュールの言語論)。つまりシニフィアンというのは「言葉」とさしあたりは言い換えてもいいのだけど、どうして「記号」ではいけないかというと、シニフィエなき記号はないから。たとえば「豚」ってシニフィアンは、動き回る動物の豚を指すこともあれば、肉屋にならぶ豚肉を指すこともあるし、人のある種の態度や体型を指すこともある。なので、「豚」というシニフィアンが、「豚肉たっぷりのキムチ鍋が食べたい」という文脈で使われたとして、あなたがこの台詞を夕方スーパーマーケットで耳にして、その何時間後かに、上司に「この豚野郎!」と罵られる夢を見るかもしれない。なんてひどいことを、と思いつつ鏡を見ると、そこには豚に生まれ変わった自分の姿が、なんて悪夢かもしれない。

二段落で、と言いつつ、めっちゃ長い一段落になってしまった。こっからざっくり行こう。かように、シニフィアンはイマージュ(イメージ)に先行している。これがフロイトラカンの画期的なところ。ラカンの有名な区別に《想像界象徴界現実界》という概念がある。人はふつう、想像界(l'imaginaire)に生きている。机の上に本がある、とか、パンツのゴムがきつい、だとか、ああ彼のことが愛おしいわ、だとか、これはぜんぶ想像界のできごとだ。イマージュを「想像」と訳すから分かりにくいけど、「鏡像」のことである。と言い換えても分かりにくいかもしれないけど。基本的には、赤ちゃんがこの世に生まれて、はじめて獲得する「像」は、鏡に写った自分の鏡像である(精神分析的な比喩も含む)。それ以前は、いかなる「像」もない(未分化、という言い方をする)。で、自分の鏡像、という単純なイマージュからスタートして、世界を分化させていく。これが「発達」。この分化の過程で、不可逆的な、決定的に致命的な出来事が生じる。それが「言葉の獲得」、つまりシニフィアンの介入。これを精神分析では「去勢」という。いったん去勢されてしまうと、もう言葉の世界から出ることはできない。この言葉の世界のことを象徴界(le symbolique)という。ラカンの有名な言葉に「無意識は言語として構造化されている」というものがあるけれど、かんたんに言うと、人の無意識とは、シニフィアンのネットワークのことである、となる。この象徴界のことを、「大文字の他者」とか「ファルスの象徴」とか言ったりする。ラカンがAutreとAを大文字で書いたので、大文字の他者。小文字の他者は、これは別途《対象a》(たいしょうあー)と言う。ところで、この象徴界は、無意識というぐらいだから、人(自我)はアクセスできない。「大文字の他者が、S(主体)に背後から話しかける」というイメージで説明される。で、背後からAが話しかけた結果が、想像界=自我であり、ということは、「本があるなあ。腹減ったなあ。チキショー、あの女とセックスしたいなあ」などという、もろもろの自意識は、すべて象徴界の結果を映し出したイリュージョンにすぎない。まあ、意識は平均すると0.5秒、脳に代表される神経系に「遅れている」らしいしね。なので、「S(主体)」と言ったけれど、いわゆる世に言うところの「主体」なるものは存在しないので、「S」(フランス語sujetの頭文字)には抹消線(スラッシュ)が引かれる。坂部恵が《主体の不在あるいは死》と言ったのは、こうした事態。さて、この象徴界にも、ほころびがある。完全無欠な無矛盾的なシステムではない。その象徴界のほころび、「裂け目」を、《現実界(le réel)》という。たしか、斎藤環が、この三つの概念を、CGアニメに例えて説明していたと思う。想像界は、スクリーンに映し出されたCGアニメそのものであり、象徴界は、コンピュータ・グラフィックスのソースコード現実界は、そのプログラムを稼働させる、ハードウェア。うまい比喩かどうか、分からないけど。映画『THE MATRIX』なら、ネオをモーフィアスがMATRIXの外側の、現実世界につれてきたときに、「現実界の砂漠へようこそ」という。斎藤環によれば(記憶に頼って僕は書いているので違うかも)、第一作でネオが最後に覚醒して、縦にMATRIX世界のソースコードのようなものが流れていくのを見ることができてしまう。ネオは象徴界にアクセスする能力を持ってしまった、という話。ちなみにあれ、なんで縦に文字が流れていくのかというと、ウォシャウスキー兄弟が日本のパソコンは文字がすべて縦書きだと勘違いしたから、とされているのだけど、これ、真偽の程はどうなんだろう。

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ああ、長くなった、三段落目でかたをつけよう。とうぜん、想像界に生きている我々には、現実界にアクセスできないのだけれど、この象徴界にあいた穴、裂け目が、想像界に影を落とすことがある。これがさっき言った《対象a》である。これは簡単に言えば「特権的な欲望の対象」である。よく宮廷恋愛が引き合いに出されて説明されるけれど、ようするに成就してしまってはならない恋愛だ。成就したら、まあ、それはもう、欲望の対象ではなくなるよね。ここまで前提。あとは、有名な「シェーマL」を見ながら説明しよう(向井雅明『ラカン入門』を接写)。「我なきところで我思う」とは、まず第一には、さっき言ったようにSには抹消線が引かれる、ということを意味する。しかしながら、我々は「思って」いる、少なくとも「思って」いるような気がしているよね。それは想像界においてのことであり、自我(moi)においてのことである。ちなみにシェーマLの左下のaが自我。右上のa'から左下のaに引かれる線は「想像的軸」で、まあ、軸(axe)なんだけど、平面と理解されている。ちなみに右上のa'が「対象a」で、これが「欲望の原因」になって、自我に対してたえず働きかけている。もうひとつ、想像界というのは、我々が象徴界の結果受け取っているイリュージョンだった。ということは、「思って」いるのは、大文字の他者、シェーマLでいうと右下のAだ、ということもできるかもしれない。これは突っ込みすぎかもしれないけど。次に、「我思わぬところに我あり」とは、いくつか含みがあるとは思うけれど、第一には「私が『私がそこにいる』と思っているような場所には、私はいない。そうでない場所に私がいる」ということになろう。我々は、ふだん、シェーマLでいう、左上のSの位置に自分はいる、と思っている。が、そう思っているのは自我である(左下)。「私の思い」とは、欲望の原因にたえずそそのかされている、自我と対象aのおりなす想像的平面に浮かび上がるイリュージョンのことだ。ラカンは、そういう「私の思い」にもてあそばれているような場所には、私はいない、と警鐘を鳴らす(警鐘って、大げさだけど)。「そんなところにいるとは思わなかった」という意味で、まず大文字の他者、つまり象徴界ラカンは指し示しているのだとは思う。シェーマLで、右下の大文字の他者から、主体Sに向かって伸びる軸は、途中から破線になっている。これは、象徴界の呼びかけ、主体への関わりが、想像界によって妨害されていることを表している。だから我々は無意識(象徴界)の語りを聞くことはできないのだけれど、精神分析的なセッションなどで、手がかりを得ることはできる、ということになっている。さっき「突っ込みすぎかもしれない」と書いたけれど、無意識も含めて「我」なのだ、とすれば、象徴界大文字の他者に「我あり」という意味もあるのかな、と思う。間違っているかもしれないけれど。そして第二に、一般的に「主体」というときに考えられている、能動的で主体的な働きを、抹消線を引かれた「S」は奪われている。フランス語sujet、英語subjectは、「下方に投げ出された」ぐらいの意味で、「臣民・臣下」という意味がある。「奴隷」といってもいい。この主体は、受け取っているだけなのだから、「思って」いない。ゆえに、「思わぬところに我あり」なのだ、とも言える。

まだまだ含みはありそうだし、上に書いたことは間違いだらけかもしれない。ただまあ、「バラッド第一番」の先に進みたいので、このぐらいで勘弁して下さい。

(つづく)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと5

前回は「バラッド第一番」のエピグラフについてしか触れられなかった。のんびりやっていこうと思っていたら、あと1日半ぐらいで、朗読会本番になってしまう。できるだけこの記事で、残りをやっつけてしまおう。まあ、できるところまで、だけれど。

(※これまで同様、引用は原則として『全詩集』を典拠とする)

生まれた、
戦争のはじまった年。
飾絵をすてた
砂漠の一武器商人の
死んだ日。
すぐに
死に損ねた。
ジャブジャブ
脳に
血が溜まった。
頭蓋を裂いて
血を抜いた。
「ほんとうは
死んでたとこだよ」
ざまァない
詮もない
嘘としての人生。
わるくもない
祈らない。

(「バラッド第一番」『長田弘全詩集』136-7頁)

『全詩集』では、エピグラフの後に4~5行の空行がある(オリジナル版にはない)。そして特定の日付が指し示される。《戦争のはじまった年》とは、いつか。「戦争」とはどの戦争をいっているのか。政治的旗幟を鮮明にし、強いアンガージュマンとともに生きた詩人・長田弘にとって、「どの戦争に言及するか」は、きわめて重要な問題になってくる。これが書かれた1977年において、日本人にとってもっとも身近な「戦争」といえば、ベトナム戦争だろうか。第四次中東戦争だろうか。直後に《砂漠の一武器商人》が出てくるから、連想としてはありえる。イラン・イラク戦争には3年早い。とはいえ、すぐにこの「戦争」は特定される。《生まれた、/戦争のはじまった年。/飾絵をすてた/砂漠の一武器商人の/死んだ日。》の5行を、まとめて読まなければならない。《砂漠の一武器商人》とは、おそらくアルチュール・ランボーのことだろう。彼が死んだのは1891年11月10日。長田弘が生まれたのが1939年11月10日。ということは、《生まれた、》のは長田弘という詩人だということになる。そして1939年は、ドイツのポーランド侵攻の年、つまりヨーロッパにおける第二次世界大戦の《はじまった年》だということになる。日本の戦争、つまり1937年盧溝橋事件にはじまる日中戦争でもなければ、1941年にはじまる太平洋戦争でもなく、独ポ侵攻、そして独ソ不可侵条約に、長田はフォーカスする。この理由については、もう少し後で触れる。

《すぐに/死に損ねた。》とは、誰の「死に損ね」なのだろうか。じつは長田は、これに関しては注釈をつけていない。終戦を福島県の三春でむかえた長田本人のこと(だけ)であるはずはない。フィクションとしての「作中主体」であると読解することも可能だ。が、この記事のシリーズの2回めで、「僕の電波力をフルに発揮する」ならこれはポール・ニザンだと述べたように、ここはニザン説で進めたい。

長田弘のポール・ニザンへの友情については、別のところで以前述べた。そこでは1967年の論文「祖国に叛逆する精神」と、1968年の「陰謀・裏切り・死」のふたつのニザン論を引用した。ここで繰り返すことはしないが、1930年代の「かれら」は、長田にとっては「わたしたち」であるという点を、押さえておきたい。「祖国に叛逆する精神」では、ニザンの友人たちのニザンにかんする証言が丁寧に引かれている。サルトルボーヴォワール、そして彼らより少し詳細にニザンの最後について語ることができたメルロ=ポンティ。《ニザンがサルトルボーヴォワールマルセイユで出逢った三週間後、休暇先のコルシカ島で、メルロ=ポンティがニザンと逢うことになるが、メルロ=ポンティの証言によると、ニザンは戦争が避けられるだろうと、つまり三国協定によってドイツを降伏させることができるだろうとただ単純に楽観していたのではなかったのだ》(「祖国に叛逆する精神」208頁)。

1939年、独ソ不可侵条約を許すことができず、怒り、苦悩し、脱党した、「裏切り者」の汚名を着せられたポール・ニザンは、1940年、ダンケルクの戦いからの撤退のさなか、死んだ。だから、現実には「死に損ね」ていない。僕の手元にあるポール・ニザンの長編『陰謀』は、1971年の晶文社著作集なのだが、この最後で、瀕死の病気から回復したフィリップ・ラフォルゲはこう述べる。《してみると、一人前の男になるためには、死に損なわなければならなかったのか?》[314頁]。このラフォルゲの台詞は、「祖国に叛逆する精神」でも「陰謀・裏切り・死」でも引用されている。「陰謀・裏切り・死」の中で、長田はドリュ・ラ・ロッシェルを《戦争から帰ってきた者たちの戦後への不馴》と、ニザンを《戦争に遅れてきた者たちのこの戦後への不信》と、補完的二項で捉えている[220頁]。長田にとっては「わたしたち」である、1930年代のフランスの若者、つまり「戦争に遅れてきた者たち」に、「戦後への不信」を抱くものたちに、ニザンに、強く同一化しているのが長田であり、「バラッド第一番」の「死に損ね」た「われ」とは、いわばニザンが「死に損ね」た場合の「われ」であり、かつ、ニザンの生まれ変わりとしての長田の「われ」である。……というのが、僕の電波力による解釈なのだが、これに説得力があるとは、思わない。

長田がニザンからの引用として特権的にとりあげているのは、先のフィリップ・ラフォルゲの台詞に続く、次の地の文である:

すべてが始まった。怒りにかられて生きてゆくために、一秒たりとも、もはや無駄にはできなかった。のるかそるかの試みをくり返しては計画倒れにおわってしまうような時期は終焉したのである。なぜなら、ほんとうに死ぬということがあり得るのだから。(『陰謀』314頁)

こう書いたニザンが、2年後には、「ほんとうに死」んでしまう。「バラッド第一番」は、ニザンに捧げられたバラッドであり、同時にエレジーでもある、と受け取っても、それほど飛躍はしていないと思うのだが、やはり、説得力のある説だとは、思わない。

(※「祖国に叛逆する精神」と「陰謀・裏切り・死」の引用は『現代詩論9 谷川俊太郎長田弘晶文社、より)

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などと書いていたら長くなったので、続きは別記事で、と思ったが、先に引用した部分の、台詞の部分、《「ほんとうは/死んでたとこだよ」》について、まるでエビデンスがない妄想を述べておこう。これは電波力を発揮して「こうとしか思えない」という境地に至ったというのでなく(「ニザン説」については、そうである)、こういう線もありうると思うのだが、いかがか、という程度の話。

死に損なった者にかけられる、この何気ない言葉が、何かからの引用である、と考えるのは、かなり無理があるのだが、ここではフィリップ・ディックの名作短編「フォスター、お前はもう死んでるぞ」(Foster, you're dead, 1955年)からの引用である可能性を指摘しておきたい。このフィリップ・ディックの短編のあらすじは、「三分 小説 備忘録」で読むことができる。僕の手元にあるのは2014年の新訳『人間以前』(ハヤカワ文庫)に収められているものだ。この小説の中で、主人公であるフォスター少年は、体育の授業で「息を止めて走る」ことがうまくできなかった。そこで体育教師は怒って、「フォスター、お前はほんとうなら死んでたとこだぞ」と言う。ほんとうなら、というのは、敵国の毒ガス攻撃で、彼らはシェルターに駆け込まなければならない。この物語は、フォスターの家は、町で唯一シェルターを持っていない家であり、そのことにフォスター少年が劣等感を感じる、というモチーフからドライヴされて進行する。あらすじを読んで、面白かったら(面白いです)、ぜひ原作を読んで下さい。

フィリップ・ディックは、《ある日、新聞の見出しに、もしアメリカ国民が政府からシェルターをあてがわれるのではなく、個人でそれを買わねばならないことになったら、もっと自分の安全に気をくばるだろう、という大統領の発言が載っていた。それをわたしは読んで激怒した。(…)この短編では、こと人間の生命となると、政府がどれほど残酷になれるものか、政府が人間に即してでなく、ドルに即して万事を考えるのがどれほど得意であるかをいいたかった》と述べている(『人間以前』526頁)。

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと4

※この一連の長田弘にかんする記事での引用は、ときに断りのないかぎり、2015年『長田弘全詩集』(みすず書房)を典拠とする。10月2日の朗読会も、本『全詩集』を典拠として行われる。したがって、『言葉殺人事件』の「バラード」シリーズはすべて「バラッド」で統一される。

さていよいよ『言葉殺人事件』所収の「バラッド第一番」に触れよう。先日、「最近は『メランコリックな怪物』に夢中だ」というようなことを書いたけれども、それでも完成度という点で言えば『言葉殺人事件』が群を抜いて優れているし、静謐さ、可憐さ、緻密さ、端正さ、陽気さ、単純明快さ、複雑さ、リズムに韻律、ようするに我々が長田弘に求めうる、あらゆるものが、『言葉殺人事件』にはある。「静謐で端正なバランス」という点で言うなら、『人はかつて樹だった』(2006年)なんかは、かなりいい線いっているとは思う。けれど、この時期(21世紀)の長田の詩には、なんというか、言葉にできない「重し」のようなものがあって(「重み」ではない)、そこが、「エモい」というか。きちんと説明できないけれど。

『メランコリックな怪物』には、陳腐な言い方をするなら、「ヒリヒリとした精神の飢え」と「絶叫」と「吃り」がある(ああ、そうすると、これも「エモい」んだね)。たとえば《チキショー、チキショー》(「こわれる」『全詩集』64頁)なんて一行があるし、《プ、プ、プラネタリウムは幾度見ました?》(「言ってください」『全詩集』61頁)と吃るし、《言葉だ、おれの、孤児が孤児にはなしかけ/どもりが早口に喋りだす言葉、それきりだ。/嘘だと悲しげに首をふり、昨日/警官がおもいきりおれを殴った。》(「黙秘」晶文社版『怪物』55頁、『全詩集』では削除)のような美しく清潔で高貴な四行からなる連がある。『言葉殺人事件』にだって、それなりに、「クソ」だの「ファック」だのは出てくる(ファックはさすがにないか)。《くそジーザス/けつクライスト》っていう二行は、「バラードUSA」にあって、あれ? 『全詩集』だとこの作品は「クリストバル・コロンの死」と改題されて『メランコリックな怪物』に入っているぞ。なるほど、そういう方針ですか。

「バラッド第一番」の何がすごいのかというと、詩人が人生で最高潮の、絶好調の舌で・指で・脳で書いている、その手触りが伝わってくるところだ。音声の神と書字(エクリチュール)の神が、長田の背後にいて、同時に語っているようにさえ思える。当時は、ワープロだのパソコンだのを使って書いてはいなかったと思うけれど、いわゆる、指より言葉が速い、というゾーンに長田は入っている。ノリノリで書いている、そのノリがビンビン伝わってくる。僕の朗読譜には(あ、10月2日の朗読会では、僕がこれを読むのです)「ドラムがはねるように」「氷のつぶがころがるように」とメモしてある。そういうイメージで読めたらいいな、という意味で書いたので、じっさいにそういう音で朗読できるかどうかは、また別なのだけど。

あくまでも「バラッド第一番」の作品としてのよさ、というのは、前述のとおりで、だとすると「元ネタ探し」なんて無粋、ということにもなりかねない、のだけど、『言葉殺人事件』の中でも最も複雑怪奇に「元ネタ」が絡まりあっているのも、この作品である。ただまあ、それを解きほぐすのも完全には無理そうなのだけど……。

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バラッド第一番
     人間北看成南 黄庭堅

冒頭、タイトルの次にエピグラフがある。漢詩エピグラフに使うのは、本詩集の中では、他に墨子のものと李賀(李長吉)のものとがある。

いきなり黄庭堅のこのエピグラフからして、長田らしい、人を食った引用だと思う。もちろん原文は、《風急啼烏未了/雨来戦蟻方酣/真是真非安在/人間北看成南》という有名な六言絶句である(漢字は常用に直した)。ざっくばらんに訳すと、「風が急に来る。カラスが鳴き止まないうちに。雨が来て、蟻の戦いはまさにたけなわだ。絶対的な是だとか、絶対的な非だとか、いったいどこにあるのか。人の世では、北から見ると、南になるのだ」とでもなるのだろうか。中国の王朝も、それを真似た平城京平安京も、偉い人ほど北に住んでいた。北=身分の高い方角ばっかり見なさんな、という警句のニュアンスを読み取ることも可能だ、というか、そのように読まれてきた。ようするに「ゆく河の流れは絶えずして」みたいなことだと思う。たぶん。もちろん、そういう、もともとの詩にあった、警句としてのニュアンスを踏まえた詩として、「バラッド第一番」を読むことも可能ではある。

が、この結句《人間北看成南》だけを抜き出してみると、マザー・グース的なトートロジー、ナンセンス、無意味の感触が到来する。人間を北から見ると、その人は南にいるのだ。その人が北極にいるなら……観測不可能になるのだ……。ニューベリー版のマザー・グース集成で、ゴールドスミスが書きそうな注釈である。晶文社版の『言葉殺人事件』の巻末には、「注」と題された、あとがき兼典拠リスト(「元ネタ」ばらし)があったのだが、『全詩集』では「あとがき」と言える部分を残して、削除されている。これについて、『全詩集』の「編集について」では、次のように述べられている。

詩人は言葉の製作者ではなく、言葉の演奏家である。詩法の主要な一つは引用、それも自由な引用であり、変奏、変型、即興であることが少なくないこと、典拠のほとんどは、これまでのそれぞれの完成版にすでに挙げられていることなどを鑑み、屋上屋を架することを避け、詩篇に付随しているものをのぞき、はぶかれた。

(「編集について」『全詩集』654頁)

この言葉の前半部分は、『言葉殺人事件』のあとがきと、ほぼ同一のことを述べている(詩人は言葉を発明しない。詩は過去の言葉の自由なヴァージョンである、云々)。後半部分は、ようするに元ネタを知りたければ各自、完成版にあたれ、と述べていることになるのだが、これが容易ではない。この黄庭堅のエピグラフについて、晶文社版(完成版)『言葉殺人事件』の「注」では、四行のうち、二行を引いて、解説している。つまり《真是真非安在/人間北看成南》という二行を。この二行の引用と解説は、その意図を明瞭に示すものではないにせよ、《人間北看成南》という一行のみをポンと提示することに比べると、いくぶん、唐突さや、ナンセンスな感触が薄まる。とは言え、この「注」全体が、言ってみれば「警戒を要する」ように書かれている。「文字通り受け取ってはならない」と……この言い方も変なのだが。ゴールドスミスによるマザー・グースへの注釈が、文字通りに理解されることを拒むものであるのと同時に、マザー・グースの歌詞が、単に文字通りの意味以上の何ごとかをいささかも述べていない、というのと同様、『言葉殺人事件』において、長田は、詩から、文字通りの意味以上の何ごとかを読み取ることを禁じ、同時に、意味ありげなエピグラフやモチーフや単語があったとしても、文字通り受け取ってはならない、という命令を下している。

詩なんだから、当たり前だろ、と言えば、それまでなんですが。

(つづく)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと3

※この一連の長田弘にかんする記事では、とくに断りのないかぎり、2015年『長田弘全詩集』(みすず書房)を典拠とする。10月2日の朗読会も、本『全詩集』を典拠として行われる。したがって、『言葉殺人事件』の「バラード」シリーズはすべて「バラッド」で統一されている。

今回とりあげるのは、やはりNursery Rhymeマザー・グース)ネタの「そして誰もいなくなるバラッド」。言うまでもなく、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』も、この作品に響鳴を与えている。周知のように、アガサ・クリスティーの同作は、伝承童謡を使った「見立て殺人」ものであり、さらに孤島で行われる「クローズド・サークル」ものの大傑作である。10人いた客が、1人殺されて9人になり、次に8人になる。殺されたものは例の伝承童謡を連想させる死に方をしている。10個あったインディアン人形は8個に減っている。残されたものは、例の伝承童謡をなぞった「見立て殺人」が起こっていると気づく。「あの唄」の通りだとすれば、さらに殺人は続いていくはずだ……。

元になっている童謡もそれほど長いものではないが、長田バージョンはさらに半分ぐらいにカットして、とても短くなっている。全文引用しておく。

そして誰もいなくなるバラッド

とに革命、かに革命!

一人が叫ぶと、十人集まる

一人が青ざめ、九人になる

一人を吊るし、八人になる

一人が澱んで、七人になる

一人がくるう、六人になる

一人が転んで、五人のこる

一人が逃げる、四人のこる

一人が自嘲し、三人のこる

一人たばかり、二人のこる

一人は一人を打ち倒す

最後の一人を見たものはなし

そして誰もいなくなる

革命、夢の引算

(『長田弘全詩集』124頁)

『言葉殺人事件』にかんしては、『全詩集』への再録にあたって、様々な変更が加えられているのだが、この「誰もいなくなる」にかんしては、使用されるイラストの削除が印象を大きく変えている。『言葉殺人事件』は全編にわたってホセ・グアダルーペ・ポサダのイラストが使われているが(これが『全詩集』に使われなかったのも大きなことだが)、「誰もいなくなる」では、長田が元ネタに使っているオーピー夫妻のオックスフォード版集成からイラストを借りている。

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この歌の原文、

Ten little Injuns went out to dine;
One choked his little self, and then there were nine.

「食事に行ったら、1人は喉詰まらせて窒息」で始まり(引用はオーピー夫妻版から)、

Seven little Injuns chopping up sticks;
One chopped himself in half, and then there were six.

「薪を切りに行ったら、1人は自分を真っ二つ」

Two little Injuns sitting in the sun;
One got frizzled up, and then there was one.

「日向ぼっこしてたら、1人はジュージュー焼かれた」とろくな目にあわないのだが、最終的には

One little Injun living all alone;
He got married, and then there were none.

「残った彼は結婚し、そして誰もいなくなった」というわけで、結婚相手の女性(?)がイラストにあるのは、そういう意味なのだった。

長田バージョンでは、《一人たばかり、二人のこる》の下に2人がイラストで示され、《一人は一人を打ち倒す》の下に1人が示される。そこまではいい。たぶん、そのイラストの男が「打ち倒」した結果、勝ったのだろう。ところが次の連(行としては空行がある、ので、連としておく)では《最後の一人をみたものはなし》とあり、下には女のイラストがある。最終2連では、何のイラストも示されず、文字通り「そして誰もいなくなる」のである。ほんとうに《みたものはなし》なのだろうか。はじめにはいなかった女は、どこからやってきたのだろうか。消えた10人と、なんの関係があるのだろうか。

オリジナル版が、童謡らしい、ナンセンスな、ばかばかしい、ふざけた、脳天気な残酷さを歌っているのに対し、クリスティーのミステリは、この脳天気な残酷さを逆手に取った、不穏で不気味で、ホラーな雰囲気を醸し出すのに成功しているといってよい。長田ヴァージョンは、この2つの元ネタをカットアップ&リミックスし、「能天気かつ不穏」という奇跡的なテクスチャーを作り出すのに成功している。しかし、あの女は誰なんだ……(サークルクラッシャーかな?)。

ところでこのクリスティーの名作、1939年、イギリスで出版された当時は、Ten Little Niggers(10人の黒んぼの子)というタイトルだった。流行していた童謡のタイトルそのままだった。で、当然、アメリカではniggerというアフリカ系アメリカ人に対する蔑称が含まれるこのタイトルは使えず、And Then There Were Noneそして誰もいなくなった)と改題される。後に、イギリスでもこのタイトルに改題されることになる。邦訳もこれに準じているのだろう(邦訳タイトルが『10人の黒んぼの子』だったら何の小説か、さっぱり分からない)。

この"And Then There were ..."というフレーズは、英語の慣用句にさえなっている。前回もアンチョコに使った平野本によれば、新聞の見出しによく使われ、ボクシングでライバルの一方が倒れると「そこで一人になりました」だし、環境汚染である生物が絶滅すると「そこでゼロになりました」である(平田[127頁])。元の童謡の最終行は、すべてand then there were ... で終わっている(oneが主語のときだけwas)。ゼロはnone(否定主語)。英語には否定主語があるから、こういう統一ができる。「バラッド第一番」から借りれば、

あゝ、
始末がわるいよ。
おれたちの言語には
否定主語がねえんだよ。

(『長田弘全詩集』139頁)

ということなのだった。北原白秋もこの歌は訳していて、最終段落のみ、言い回しが変わっている。

十人のくろんぼの子供

十人よ、くろんぼの子供が十人よ。
おひるによばれてゆきました。
ひとりがのどくびつまらした。
そこで、九人になりました。

(中略)
三人よ、くろんぼの子供が三人よ。
こんどは動物園へいったれば、
くまめがひとりをひん抱いた。
そこで、ふたりになりました。

ふゥたりよ、くろんぼの子供がふゥたりよ。
かんかん日だまりィすわりこみ、 ひとりがちぢれてやけしんだ。
そこで、ひとりになりました。

ひィとりよ、くろんぼの子供がひィとりよ。
いよいよ、たったひィとりよ、
その子がお嫁とりにでていった。
そこで、だァれもなくなった。

(北原白秋訳 まざあ・ぐうす)

伝承童謡と言ったが、この歌に関しては、作者が判明している。原作は1868年、アメリカ人セプティマス・ウィナーによって作詞・作曲された。タイトルはTen Little Injuns(10人のインディアンの子)。同年末、もしくは翌年、イギリス人フランク・グリーンによって翻案される。タイトルはTen Little Nigger Boys(10人の黒んぼの子)。で、翻案であるはずのイギリス版の方が、有名になってしまった。これはもちろん、ポリティカル・コレクトネスから言ってまずいので、イギリス版はやがて消え、オーピー夫妻の集成でもInjunsになっている。ポリティカル・コレクトネスから言うなら、injunというのもまずいので、Wikipediaによると、1940年代以降はTen Little IndiansもしくはTen Little Soldier Boysに変更されている。クリスティーの悪名高き新訳で「インディアン島」が「兵隊島」になっているのは、原作もそのように改変されているためだ。

次回はできれば「バラッド第一番」に入りたい。

(つづく)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと2

この一連の長田弘関連の記事では、原則として、長田弘の詩の引用は、ことわりがない限り、2015年の『長田弘全詩集』(みすず書房)からである(前回の記事でこのことを書くのを忘れていた)。10月2日に行われる朗読会も、この『全詩集』を典拠としている。なので、『言葉殺人事件』の「バラード」シリーズはすべて「バラッド」で統一される。忘れないうちに、朗読会のプログラムをメモしておこう。ついでに『全詩集』の該当するページも書いておく。「立ちどまる」[290]、というのは『全詩集』の290頁に「立ちどまる」という詩が掲載されているという意味だ。

  • プロローグ 「立ちどまる」[290]『世界は一冊の本』(1994年/2010年definitive edition)
  • 第一部
    • 深呼吸の必要』(1984年)
      • 「あのときかもしれない 二」[145]
      • 「あのときかもしれない 四」[149]
      • 「あのときかもしれない 八」[157]
      • 「あのときかもしれない 九」[159]
    • 『食卓一期一会』(1987年)
      • 「言葉のダシのとりかた」[177]
      • 「天丼の食べかた」[182]
      • 「ふろふきの食べかた」[188]
      • 「餅について」[190]
      • 「きみにしかつくれないもの」[194]
      • 「パリ=ブレストのつくりかた」[203]
    • 『言葉殺人事件』(1977年)
      • 「バラッド第一番」[138]
      • 「ひとの歯のバラッド」[113]
      • 「幸福なメニューのバラッド」[127]
      • 「何のバラッド」[100]
      • 「一冊の本のバラッド」[115]
      • 「戦争のバイエル」[103]
  • 休憩
  • プロローグ 「静かな日」[274]『心の中にもっている問題』(1990年/2015年新編修)
  • 第二部
    • 『詩の絵本』(3冊より構成される。以下の2冊のほか、『ジャーニー』2012年)
      • 「森の絵本」[277](1999年)
      • 「最初の質問」[283](2013年)
    • 『人はかつて樹だった』(2006年)
      • 「世界の最初の一日」[463]
      • 「森のなかの出来事」[464]
      • 「海辺にて」[471]
      • 「立ちつくす」[472]
    • 『世界はうつくしいと』(2009年)
      • 「世界はうつくしいと」[518]
      • 「蔵書を整理する」[530]
    • 『詩ふたつ』(2010年)
      • 「花を持って、会いにゆく」[545]

『全詩集』の655頁に初出一覧があるのだが、「2015年新編修」という言い回しが二箇所出て来る。『メランコリックな怪物』と『心の中にもっている問題』。「新・編集」でなく、「新・編修」。前回、これがどういう意味なのか、疑問を呈したけど、なるほど、分かった。『全詩集』のために編集しなおした、という意味だった。『メランコリックな怪物』からは、無視できない数の詩篇が削除された。『心の中にもっている問題』は、1990年版を持っていないので、今のところ、分からない。

さて、前回に引き続いて、Nursery Rhymeマザー・グース)と『言葉殺人事件』の関係を見よう。今回は、「友人のバラッド」[107]という、これは個人的にはかなり好きな作品なんだけど(朗読会では、時間の関係上、読まれない)、とても短い。短いので、いきなり長田バージョンの方を全文引用しておこう。

友人のバラッド

友人がいた。
丘の下に住んでいた。
まだ死んでなければ
まだそこで生きてるだろう。
ただひとりの
ぼくの友人。

(『長田弘全詩集』107頁)

オリジナル版も短いので、北原白秋の訳と、原文もついでに引用しておこう。

あの丘のふもとに

あの丘のふもとに
おばあさんがござった。
もしも去(い)なんだら
まだ住んでござろ。

There was an old woman
Lived under a hill,
And if she's not gone
She lives there still.

(北原白秋訳 まざあ・ぐうす)

長田が準拠しているNursery Rhymeは、オーピー夫妻によるオックスフォード版で、僕もこれを持っている。アンチョコとしては平野敬一『マザー・グースの唄』(中公新書、1972年)が面白い、というか、マザー・グースに関する研究書は本当に少なくて、40数年前のこの本にいまだに頼らなければならないという現状はどういうことなんだろうか、と思う(まったくなくはないのだけど、Amazon検索でもこれがトップだし、いまだに版を重ねている新書なので、一般的な書店で気軽に買えるのはこれぐらいじゃないかしら)。完全に余談だが、小学校で英語を必修化したら、アルファベット以外には、マザー・グースを徹底的に叩き込んで欲しいし、そうすべきだし、それ以外にはマジで何もやらなくていいよ、と思っている。

で、平野本によると、Nursery Rhyme(イギリス伝承童謡)の集成、という仕事で言うと、今までに三つの大きなポイントがあった。(1)18世紀後半のニューベリーの集成、(2)19世紀中葉のJ.O.ハリウェル、(3)20世紀、とくに50年代に入ってからのオーピー夫妻の研究と集成。この中で超絶にスゴイ仕事、と言えば当然オーピー夫妻、ということになるのだけど、ここではニューベリーの集成に着目してみよう。というのも、オーピー夫妻のオックスフォード版も、ハリウェル版も、まじめに正面から伝承童謡に取り組んでいる、学問的な仕事で、まあ、逆に言うと、面白みがない。もちろん集められた童謡はどれもナンセンスでおかしくてばかばかしくて、それを読めれば十分でしょう、とは言える。ただ、ニューベリー版には、なんとも言えない魅力がある。ただでさえ短くて意味がなくてナンセンスな(おっと、同語反復? でも「ナンセンス」の「センス」には「常識」という意味もある)童謡に、さらにナンセンスでふざけていてわけのわからない「注釈」が付されているのだ。で、どうやら、この「注釈」は、ニューベリーと親しくしていたオリヴァー・ゴールドスミスが書いたものらしい。一説には、ニューベリー版には、伝承童謡にゴールドスミスの創作も紛れ込んでいるという説もあるらしいのだが、これは定かではない。

さっき引用した「あの丘のふもとに」に対して、ゴールドスミスはこういう注釈を付けている:

これは自明の陳述であり、それこそ真理の本質をなすものです。〈彼女は丘のふもとに住んでいました。もし立ち去っていないようでしたら、まだそこに住んでいるはずです〉と。これにあえて異を唱える人はいないでしょう。

(平野敬一『マザー・グースの唄』33-4頁)

これについて平野は《ポーカー・フェースで自明のことを述べるのは、イギリスの童謡の一つの特徴だが、ゴールドスミスの注釈のまじめくさったおとぼけぶりは、注釈されている童謡とみごとに呼応するものである》[34]と述べる。はい。

また脱線するけれど、ゴールドスミスのばかばかしい注釈で傑作なのが「黒羊」の唄で、これは北原白秋の訳もあるけれど、谷川俊太郎訳もあるので、谷川訳を引用する(孫引きでゴメン)。

めえ めえ めんようさん
 ようもう あるの?
あるとも あるとも ふくろにみっつ
 ごしゅじんさまに ひとふくろ
 にょうぼのやつに ひとふくろ
もうひとふくろは みちのはずれの
ひとりぼっちの ぼうやのためさ
(平野敬一『マザー・グースの唄』37-8頁)

原文で"Baa, baa, black sheep,"というところを、北原白秋は《べああ、べああ、黒羊(ブラックシイプ)》とルビで韻を説明しているのだけど、谷川訳は、さすがに見事というべきか。ところで、この唄へのゴールドスミスの注釈は《教訓――悪癖は明日克服するより今日克服する方が易しい》(平野、38頁)である。もう、ナンセンスの競争というか、悪ノリがすぎるというか、伝承童謡と注釈が見事に響き合って(この黒羊の場合にはすでに共通・呼応する要素がひとつもない)、めちゃくちゃテンションが高い詩集を読んでいる気分になってくる。

かなり脱線したけれど、「友人のバラッド」に戻る。原文の、丘のふもとのお婆さんの唄は、自明なこと(トートロジー)以外のテクスチャーを持っていない。ように見える。そうでもないのかな。でもThere was an old womanというのは、日本の昔話でいう「昔々あるところにお婆さんがおりました」ぐらいの言い回しで、感情移入を許さないようなところがあるように思う。それに対して、長田ヴァージョンには、抒情詩的なテクスチャーが持ち込まれている。

友人のバラッド

友人がいた。
丘の下に住んでいた。
まだ死んでなければ
まだそこで生きてるだろう。
ただひとりの
ぼくの友人。

(『長田弘全詩集』107頁)

ここで特権的なテクスチャーを持つフレーズは、「友人がいた」「ただひとりの/ぼくの友人」というたった3行の文で、それ以外は「丘のふもとの老婆」と変わらず、関与する要素が入れ替わっただけである(去っていなければ、と言わずに、まだ死んでなければ、と言っているのは、どうか。これは原文のlives there stillのliveを「住んでいる」と解さずに「生きている」と解釈しなおすという、積極的な再構築が行われていると考えてよい)。

There was an old womanのan(不定冠詞)は、初出のテーマの紹介という機能を果たしているのと同時に、任意性も意味している。つまり、この唄の老婆は、「どこの誰だかは分からぬが、ともかく一人の」という属性を備えた人物であり、この唄を歌うときには、そのような属性を備えた、任意の誰かに対する態度が歌い手に発生する。それに対し、「友人」は、任意ではない。友人という一般名詞について語られているのではない。「友人」と言うとき、その人物の「どこの誰なのか性」というべき属性が、込められている。このとき、この詩を読む我々のうちには、否応なしに、特定のどこかの誰かに対する態度が発生してしまう。

かなり飛躍したことを言おう。僕の電波力をフルに発揮するなら、この「友人」とは、ポール・ニザンである(エビデンスはない)。1940年、ダンケルクの戦いから撤退するさなか、戦死した、エマニュエル・トッドの祖父、ポール・ニザンポール・ニザンへの長田弘の友情の念にかんしては、以前、別のところで書いた。僕の(電波力を最大限に発揮した推理にもとづく)考えでは、「バラッド第一番」の作中主体は、別の世界線のポール・ニザン、別の生を生きたポール・ニザンであり、また同時に長田弘であり、ポール・ニザンが死に損なった場合の、生まれ変わりとしてのニザン=長田である。これは(繰り返すが)エビデンスはないし、そうだったらいいなあ、という願望でさえない。むしろ、読者としての僕の電波力を音叉のごとく響鳴させる「バラッド第一番」の圧倒的な強度のもたらす、そうとしか思えない、という、幻想的確信である。

ということを書くからには、次回はいよいよ「バラッド第一番」について書くのかというとそうでもないのであった。

(つづく)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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長田弘の詩集のこと1

長田弘の詩について、これまでにあちこちで、いくつかのことを書いてきたけど、ぜんぜん言い足りなくって、書かないとなあ、と思って書きはじめた文章がたくさんあって、でもなんか違うんだよなあ、という感じがいつもつきまとうから、消してはいないけど「ボツ」フォルダに投げ込んでいて、実質、書いては消し、書いては消し、という状況が続いている。でも、ほんの少しでも公表したいという思いはあるので、方針を変えてみることにした。「長田弘の詩」について書こうとしているから、たぶん、書き足りない思いとか、なんか違うよなあという思いとか、発射不成功(不性交)みたいなことになっていると気づいた。「長田弘の詩」について書こうと思ったら、たぶん1年ぐらいあっても足りないんじゃないか。冷静に考えれば。そんなわけで、「長田弘の詩集」について書く。

今ものすごく気になっている長田弘の詩集は、第2詩集の『メランコリックな怪物』で、と言っても1973年に千部限定で出た思潮社版は(当然ながら)持ってなくて、1979年に出た晶文社版を持っている。これ(晶文社版)はたぶん、『メランコリックな怪物』と題される長田の詩集としてはいちばんたくさん、作品が収められている(『全詩集』の初出一覧に、「2015年新編修」というのが掲載されているのだけど、これって発売されたのだろうか? それとも、『全詩集』のために編集し直したという意味なのだろうか)。『全詩集』では、この『メランコリックな怪物』から、無視できない数の作品が削除されている。タイトルが変更されたものもあるし、他の詩集に紛れ込ませたものもあるし、他の詩集に入っていたものを『メランコリックな怪物』に紛れ込ませたケースもある。そういう点を考えると、『長田弘全詩集』という2015年に出た、まったく新しい彼の詩集といってよい「全詩集」は、奇妙な詩集だし、長田さんらしい人を食った詩集だともいえる。1979年といえば、1977年の第3詩集『言葉殺人事件』よりもあとのことで、第3詩集のあとに第2詩集がくるというのも、かっこいいと言えばかっこいい。で、今回は、『言葉殺人事件』のことを書く。(ここまで前置き)

この記事のタイトルを「長田弘の詩集のこと1」としたのは、『言葉殺人事件』について、何回かに分けて書くよ、という意味と、他の詩集についても書く機会があったら、ナンバリングを増やしていくよ、という意味とがある。できれば『言葉殺人事件』の「バラッド第一番」について、今月中に触れられればなあ、とは思っているけど。今なにげなく「バラッド第一番」と言ったけれど、『言葉殺人事件』の初版からしばらくは、「バラッド」ではなく「バラード」だった。「○○のバラッド」というタイトルの作品がたくさんあって、それはすべてもともとは初版以来「○○のバラード」というタイトルだった。たしか、ハルキ文庫から出ているアンソロジーでも、「バラード」というタイトルになっているはずだ。おそらく2015年の『全詩集』への再収録に際して、「バラッド」に変更されたのだろうと思っているのだけど、実際はもっと早い段階で「バラッド」になったのかもしれない。この辺の事情はよく分からない。僕は「バラッド」が気に入っている。

『言葉殺人事件』という詩集は、Nursery Rhymeマザー・グース)を主要な元ネタとして、古今東西の散文・韻文・歌・慣用句・引用された台詞の、長田ヴァージョンが繰り広げられる、わりと牧歌的で呑気な感じのする、カットアップ&リミックス集である。「牧歌的で呑気」と言ったのは、山田亮太の『オバマ・グーグル』があまりにストイックでヒリヒリする感じがするからで、まあ比較すべき対象ではないかもしれないけど、『言葉殺人事件』は「俺が俺が」という感じはする。いい意味で、だけど。あと、装画に使われているホセ・グアダルーペ・ポサダのリトグラフが、ラテン系の陽気な感じで、そういう見た目も印象に影響していると思う。

マザー・グース」ネタで、日本でも有名な「クックロビン」をネタにしたものが「誰が駒鳥を殺したか」。原題そのまんまである(マザー・グースに原題もへったくれもないが)。が、内容はもちろん違う。比較のため、「クックロビン」の北原白秋訳を引用する。Kindleで無料で読めるので、オススメ。

こまどりのお葬式

「だァれがころした、こまどりのおすを」
「そォれはわたしよ」すずめがこういった。
「わたしの弓で、わたしの矢羽で、
わたしがころした、こまどりのおすを」

「だァれがみつけた、しんだのをみつけた」
「そォれはわたしよ」あおばえがそういった。
「わたしの眼々で、ちいさな眼々で、
わたしがみつけた、その死骸みつけた」

「だァれがとったぞ、その血をとったぞ」
「そォれはわたしよ」魚がそういった。
「わたしの皿に、ちいさな皿に、
わたしがとったよ、その血をとったよ」
(北原白秋訳 まざあ・ぐうす)

これに続いて、甲虫、ひばり、鳩、フクロウ、などなど、みんな「自白」する。そして駒鳥の「お葬式(おともらい)」は滞りなく終了する。怖い。殺した雀がいきなり何の葛藤もなく、自白しているのが特に怖い。「本当は怖いマザー・グース」でググればわかるように、マザー・グースには意味もなく(?)残酷な歌が多い。まあ、子ども向けの民謡なので、ドリフっぽい首チョンパとか、そういうのが受けるんだろうという気もするし、古いので、死が身近だったというのもあると思う。

上に引用した部分に対応する、長田版「誰が駒鳥を殺したか」を引用する。

誰が駒鳥を殺したか

ある日、一羽の
駒鳥が殺された。

誰が殺した、
駒鳥を?

「ぼくじゃない」雀はいった。
「殺したやつだ、
殺されたやつを殺したのは」

では、誰がみた、
駒鳥が殺されるのを?

「ぼくじゃない」蠅はいった。
「殺したやつだ、
誰もみていない殺しをみたのは」

では、誰がみつけた、
殺された駒鳥を?

「ぼくじゃない」魚はいった。
「殺したやつだ、
まっさきに殺された駒鳥をみたのは」

言ってみれば、長田版は「考えオチ」というか(いや、オチないのだけど)、ひねくれている。雀が駒鳥殺害を自白しないのは分かる。いきなり物語の冒頭で犯人が自白したら、物語として成立しなくなる、ような気がする(ミステリ小説なんかでは、そういうのは少なからずありそうな気もするけど)。逆に言うと、オリジナル版の怖さは、いきなり雀が自白することで、問題の所在が別の論点に滞りなく移行する点にある。殺したのが雀なら、よろしい、では死んでいるのを見つけたのは誰だ、というふうに、なんの引っ掛かりもなく、次の論点に移る。オリジナル版の喚起する変な気持ちは、この歌が徹頭徹尾「駒鳥の死」をめぐって行われるコミュニケーションであるにも関わらず、別の何かをドキュメンタリータッチで描き出しているところにあるように思う。それは生と死に関わる人間世界の「手続き」の容赦なさとか、合理性や効率性とか、そういう荒々しさの手触りみたいなものがある。

長田版に戻ると、「ぼくじゃない」という登場人物(これはもちろん擬人化なので、人物といってよい)の台詞には、あまり意味がない。「殺したやつが殺したのだ」というトートロジーから出発して、「殺したやつが、殺されたやつが殺されるところをみたのだ」「殺したやつが、殺されたやつが殺されているのを一番はじめにみつけたはずだ」と、これら自体はトートロジーとは言えないかもしれないけど、トートロジーにぎりぎり近いようなことを積み重ねていって、どんどん情報の冗長性を高めていく。オリジナル版とは違う、別の「変な気持ち」が生じる。オリジナル版にあった、箴言・格言めいた「教え」は消えてしまって、詩的な効果としか言いようのない、奇妙な手触りを残す。この作品の最後尾には、「告示」と題された「張り紙」が貼ってあって(もちろんイラストだけど)、少しもったいぶった感じはするけど、この『言葉殺人事件』という詩集はちゃんとした詩集ですよ、という宣言にもなっている。

告示
殺されたものは
殺したものによって殺されたが
殺したものがいないのであれば
殺されたものもまたいないであろう
きみが殺されるまで

うーん、いま、「ちゃんとした詩集ですよ」と書いてしまったけれど、改めて引用してみると、この「告示」は、やはり、ちょっとやりすぎていて、というのは、格言・箴言めいた「教え」「教訓」の薫りがしてならない。読みすぎかもしれないけれど。文字通り受け取れば、駒鳥が殺されたという事実から出発したのに、殺したものがいないがゆえに、殺されたものもまたいない、という結論に至ってしまう、そのナンセンスなレトリックに面白さがある、とは言える(その意味では「ちゃんとした詩集」である)。でも、実際、世の中って、そうなってるよね、という社会批評的な教訓話にも見えてしまって、そこに僕としては、引っ掛かりを感じなくもない、ということなのだった。

(つづく)

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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