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長田弘の詩集のこと5

book words

前回は「バラッド第一番」のエピグラフについてしか触れられなかった。のんびりやっていこうと思っていたら、あと1日半ぐらいで、朗読会本番になってしまう。できるだけこの記事で、残りをやっつけてしまおう。まあ、できるところまで、だけれど。

(※これまで同様、引用は原則として『全詩集』を典拠とする)

生まれた、
戦争のはじまった年。
飾絵をすてた
砂漠の一武器商人の
死んだ日。
すぐに
死に損ねた。
ジャブジャブ
脳に
血が溜まった。
頭蓋を裂いて
血を抜いた。
「ほんとうは
死んでたとこだよ」
ざまァない
詮もない
嘘としての人生。
わるくもない
祈らない。

(「バラッド第一番」『長田弘全詩集』136-7頁)

『全詩集』では、エピグラフの後に4~5行の空行がある(オリジナル版にはない)。そして特定の日付が指し示される。《戦争のはじまった年》とは、いつか。「戦争」とはどの戦争をいっているのか。政治的旗幟を鮮明にし、強いアンガージュマンとともに生きた詩人・長田弘にとって、「どの戦争に言及するか」は、きわめて重要な問題になってくる。これが書かれた1977年において、日本人にとってもっとも身近な「戦争」といえば、ベトナム戦争だろうか。第四次中東戦争だろうか。直後に《砂漠の一武器商人》が出てくるから、連想としてはありえる。イラン・イラク戦争には3年早い。とはいえ、すぐにこの「戦争」は特定される。《生まれた、/戦争のはじまった年。/飾絵をすてた/砂漠の一武器商人の/死んだ日。》の5行を、まとめて読まなければならない。《砂漠の一武器商人》とは、おそらくアルチュール・ランボーのことだろう。彼が死んだのは1891年11月10日。長田弘が生まれたのが1939年11月10日。ということは、《生まれた、》のは長田弘という詩人だということになる。そして1939年は、ドイツのポーランド侵攻の年、つまりヨーロッパにおける第二次世界大戦の《はじまった年》だということになる。日本の戦争、つまり1937年盧溝橋事件にはじまる日中戦争でもなければ、1941年にはじまる太平洋戦争でもなく、独ポ侵攻、そして独ソ不可侵条約に、長田はフォーカスする。この理由については、もう少し後で触れる。

《すぐに/死に損ねた。》とは、誰の「死に損ね」なのだろうか。じつは長田は、これに関しては注釈をつけていない。終戦を福島県の三春でむかえた長田本人のこと(だけ)であるはずはない。フィクションとしての「作中主体」であると読解することも可能だ。が、この記事のシリーズの2回めで、「僕の電波力をフルに発揮する」ならこれはポール・ニザンだと述べたように、ここはニザン説で進めたい。

長田弘のポール・ニザンへの友情については、別のところで以前述べた。そこでは1967年の論文「祖国に叛逆する精神」と、1968年の「陰謀・裏切り・死」のふたつのニザン論を引用した。ここで繰り返すことはしないが、1930年代の「かれら」は、長田にとっては「わたしたち」であるという点を、押さえておきたい。「祖国に叛逆する精神」では、ニザンの友人たちのニザンにかんする証言が丁寧に引かれている。サルトルボーヴォワール、そして彼らより少し詳細にニザンの最後について語ることができたメルロ=ポンティ。《ニザンがサルトルボーヴォワールマルセイユで出逢った三週間後、休暇先のコルシカ島で、メルロ=ポンティがニザンと逢うことになるが、メルロ=ポンティの証言によると、ニザンは戦争が避けられるだろうと、つまり三国協定によってドイツを降伏させることができるだろうとただ単純に楽観していたのではなかったのだ》(「祖国に叛逆する精神」208頁)。

1939年、独ソ不可侵条約を許すことができず、怒り、苦悩し、脱党した、「裏切り者」の汚名を着せられたポール・ニザンは、1940年、ダンケルクの戦いからの撤退のさなか、死んだ。だから、現実には「死に損ね」ていない。僕の手元にあるポール・ニザンの長編『陰謀』は、1971年の晶文社著作集なのだが、この最後で、瀕死の病気から回復したフィリップ・ラフォルゲはこう述べる。《してみると、一人前の男になるためには、死に損なわなければならなかったのか?》[314頁]。このラフォルゲの台詞は、「祖国に叛逆する精神」でも「陰謀・裏切り・死」でも引用されている。「陰謀・裏切り・死」の中で、長田はドリュ・ラ・ロッシェルを《戦争から帰ってきた者たちの戦後への不馴》と、ニザンを《戦争に遅れてきた者たちのこの戦後への不信》と、補完的二項で捉えている[220頁]。長田にとっては「わたしたち」である、1930年代のフランスの若者、つまり「戦争に遅れてきた者たち」に、「戦後への不信」を抱くものたちに、ニザンに、強く同一化しているのが長田であり、「バラッド第一番」の「死に損ね」た「われ」とは、いわばニザンが「死に損ね」た場合の「われ」であり、かつ、ニザンの生まれ変わりとしての長田の「われ」である。……というのが、僕の電波力による解釈なのだが、これに説得力があるとは、思わない。

長田がニザンからの引用として特権的にとりあげているのは、先のフィリップ・ラフォルゲの台詞に続く、次の地の文である:

すべてが始まった。怒りにかられて生きてゆくために、一秒たりとも、もはや無駄にはできなかった。のるかそるかの試みをくり返しては計画倒れにおわってしまうような時期は終焉したのである。なぜなら、ほんとうに死ぬということがあり得るのだから。(『陰謀』314頁)

こう書いたニザンが、2年後には、「ほんとうに死」んでしまう。「バラッド第一番」は、ニザンに捧げられたバラッドであり、同時にエレジーでもある、と受け取っても、それほど飛躍はしていないと思うのだが、やはり、説得力のある説だとは、思わない。

(※「祖国に叛逆する精神」と「陰謀・裏切り・死」の引用は『現代詩論9 谷川俊太郎長田弘晶文社、より)

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などと書いていたら長くなったので、続きは別記事で、と思ったが、先に引用した部分の、台詞の部分、《「ほんとうは/死んでたとこだよ」》について、まるでエビデンスがない妄想を述べておこう。これは電波力を発揮して「こうとしか思えない」という境地に至ったというのでなく(「ニザン説」については、そうである)、こういう線もありうると思うのだが、いかがか、という程度の話。

死に損なった者にかけられる、この何気ない言葉が、何かからの引用である、と考えるのは、かなり無理があるのだが、ここではフィリップ・ディックの名作短編「フォスター、お前はもう死んでるぞ」(Foster, you're dead, 1955年)からの引用である可能性を指摘しておきたい。このフィリップ・ディックの短編のあらすじは、「三分 小説 備忘録」で読むことができる。僕の手元にあるのは2014年の新訳『人間以前』(ハヤカワ文庫)に収められているものだ。この小説の中で、主人公であるフォスター少年は、体育の授業で「息を止めて走る」ことがうまくできなかった。そこで体育教師は怒って、「フォスター、お前はほんとうなら死んでたとこだぞ」と言う。ほんとうなら、というのは、敵国の毒ガス攻撃で、彼らはシェルターに駆け込まなければならない。この物語は、フォスターの家は、町で唯一シェルターを持っていない家であり、そのことにフォスター少年が劣等感を感じる、というモチーフからドライヴされて進行する。あらすじを読んで、面白かったら(面白いです)、ぜひ原作を読んで下さい。

フィリップ・ディックは、《ある日、新聞の見出しに、もしアメリカ国民が政府からシェルターをあてがわれるのではなく、個人でそれを買わねばならないことになったら、もっと自分の安全に気をくばるだろう、という大統領の発言が載っていた。それをわたしは読んで激怒した。(…)この短編では、こと人間の生命となると、政府がどれほど残酷になれるものか、政府が人間に即してでなく、ドルに即して万事を考えるのがどれほど得意であるかをいいたかった》と述べている(『人間以前』526頁)。

これまでに書いた長田弘についての文章:

朗読会のお知らせ。ふくしま現代朗読会の第3回公演では、長田弘の詩を読みます。2016年10月2日(日)郡山市ホテルハマツ・ロビー(無料) 13:30~歌って踊れる3人娘は『詩の絵本』を読むみたい。

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