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青空文庫にある作品の文字数をカウントしてTSVファイルに書き出すスクリプトを書いたよ

Snowy Withered Bough by Hideo Saito on 500px.com

tl; dr

青空文庫を作者名で検索し、作品名と文字数をTSVファイルに書き出すRubyスクリプト

GemはMechanizeのみ使用(依存するGemも含めてローカルインストール)。

エラー処理や例外処理はアドホックに付け加えただけ。もちろん全作家についてテストしたりしていない。

目的

先日お知らせしたように、エフエムモットコムでふくしま現代朗読会の朗読番組がはじまった。

  • 金曜08時15分~28分
  • 再放送が火曜17時45分~

ListenRadio(リスラジ)

13分の番組で、じっさいに朗読する時間は12分弱。問題は、この長さに合致する作品選びである。だいたい文庫本で5~6頁がリミットの長さになってくるかと思う(いまのところ、1回の放送で1作品でやっているけれども、いずれ、長編・中編を分割して読むこともある)。

そんなわけで、いまのところ、読みたい作品だから読むというより、長さ制限から作品を選び出す、というかたちで、しばらくはやっていくだろう。

というわけで、青空文庫にある、権利が切れてパブリック・ドメイン入りした作品の文字数を出力するプログラムを書いた。

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【朗読】ラジオ番組「朗読 一語一絵」がはじまります(出演予定)

Dendritically Generative Withered Bough #2 by Hideo Saito on 500px.com

【追記2017.03.30】2017年4月から再放送の日時が変わります。

新年の抱負じゃないけど、今年は朗読について、はてなブログで一定のドキュメント化をしていきたいと思っているきょうこのごろです。

というのも、日本の「声を発する業界」(歌や演劇や、なんやかや)には「ドキュメント化する努力」が決定的に欠けていると思うからです。スタニスラフスキー・システムの名をあげるまでもなく、舞台演劇からハリウッドまで、世界的には、徹底したドキュメント化の努力の上に、現在が位置します。日本にも鴻上尚史のような人はいますが。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」であります。身体芸術に範囲を拡げれば、ウィリアム・フォーサイスもいます。朗読の世界でこれをやったのは、杉澤陽太郎氏ぐらいなものです(東百道氏を軽視するわけではありません。あれはあれで、必要な努力だと思います)。

その杉澤メソッドの普及に務めるべく、われわれ「ふくしま現代朗読会」は日々努力を重ねています。

さて、福島県本宮市のローカルFM局・エフエムモットコムで、朗読の番組「朗読 一語一絵」がはじまります(もうはじまってる)。ぼくも春ぐらいに読みます。江戸川乱歩を読むつもり(師匠の許可は得ている)。

エフエムモットコムはCSRA(Community Simul Radio Alliance)で配信されているので、インターネットで聴くことができます。

放送は、

  • 金曜08時15分~28分
  • 再放送が火曜17時45分~
  • (2017年4月から)再放送が月曜18時45分~

朝のテレビ小説のあとにどうぞ(ああ、いま、「精霊の守り人」の裏になってるのか)。

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Processingでミュージックビデオを作ったぽ

いまさらだけど、ProcessingでMVを作ってみたので、プロセスを、自分用にメモ。

ReasonとAbleton Liveで楽曲を作り、SoundCloudにアップ。ジャケ写(カバーアート)は過去に自分が撮影したものを、フォトショで加工し、Processingでさらに加工した。この写真の別バージョンは、500pxに以前アップした:

Lake Inawashiro, evening by Hideo Saito on 500px.com

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今年買ってよかったもの(2016年)

お題その2「今年、買ってよかった物」

都落ちして8年が過ぎようとしていて、ぼくの消費の速度、消費ヴェロシティとでもいうべきものが、ガクンと音を立てて落下している。消費が生を充溢させるのではない。生の充溢の指標として、消費が機能するのだ。しかし、Spotifyに代表されると思うのだが、基本的には支出なしでほとんどのことを済ませられてしまう、という雰囲気に、急速に包まれてきている。むろん、Spotifyで音楽を聴いても、それは消費なのだが、ここではモノとして手元になにがしかが残る、というきわめてアナログな感受性について消費という言葉を使う。

明日のこと、未来のことなど考えても意味がない、生の「いま、ここ」が充溢し、みなぎっているのでなければ意味がない。「みなぎり」をありありと知覚するのだが、目には見えない。「みなぎった」というしるしとして、モノを残すのだ。ところが、モノなしで済ます生活が続くと、何も残っていない。あたかも自分の生が充溢していないかのような、倒錯した錯視現象が起きる。

などと書いていたら飽きてきたので、できるだけ「10選」になるようにまとめる。

最果タヒ『グッドモーニング』

はじめて最果タヒを読んだときの「わからなさ」にともなう感情は、ぼくにとっては、「悔しさ」だった。一読して、語彙の上でも統辞構造の上でもきわめて馴致された言語使用が行われている、かのように見える。異常なまでに可読性が高い。ベタな言い方をするなら、若い女の子のブログの文章みたいだ、というのが第一印象で、これが詩として多数の読者を得ている、という現実に、自分のマインドがついていけなかった。悔しかった。子どもが、重厚な文学作品に対峙したときみたいに、「わからない自分」が嫌になった。詩に対して「わかる/わからない」みたいな粗雑な言葉を使うことには極めて慎重であるべきだが、端的に「わからない」と愕然とした。

この「わからなさ」は、それほど多くない時間が解決した。すぐに、過剰に可読性が高められた見せかけが、連辞の凶暴なゆらぎの隠れ蓑になっていることに気づく。

ところでこの「過剰な可読性」は、第一詩集の『グッドモーニング』でははじめから放棄されている。したがって、詩としては、彼女の作品としてもっとも読みやすい(非常に逆説的なことを言っているが)。簡単に言えば、「現代詩っぽい」見た目をしている。記号の多用、改行の唐突なリズム、反復、閉じられない多重の括弧。とはいえ、そうした見た目のもたらす安心感に気を抜いていると、とたんに精神をえぐられる。注意して、繰り返し読まなければならない。

(↓このぐらい、「ああ、現代詩ですね」という感じで、読みやすい)

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マット・ピアソン『[普及版]ジェネラティブ・アート』

いまさらかもしれないが、Processingにハマった。ジェネラティブアートがこれまでのアートにとってかわる世界が来る、などとはまるで思わないが、ジェネラティブアート以降、ということを意識しない世界もまた、ありえないだろう。

牛尾憲輔『a shape of light(映画「聲の形」サウンドトラック)』

今年の消費動向で特異的だったのは、映画の動員数だ。作品があれば、人は映画館に行く。とはいえ「この世界の片隅に」だけは、この文章を書いている時点で、まだぼくの地元に来ていない。というか、「シン・ゴジラ」「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」という爆発的驚異的ヒット作のうち、後の2作品は、高速道路を車で飛ばさないと見れない。

それはともかく、今年のチャンピオンは「聲の形」だ。そしてagraphこと牛尾くんが、今年のチャンピオンだ。映画のパンフレットで山田監督とイチャイチャしやがって。末永くお幸せに。

石野卓球『LUNATIQUE』

官能性をテーマにつくられたというフルアルバム。すこしメランコリックなモードで、跳ねた音色のコードが、跳ねたリズムで飛び回る。ようするにイビザ感にあふれている。Sueno Latinoによって天空に放り投げられたあなたなら、あるいはE2-E4によってカーペットの粘土の沼に沈みこんでいったあなたなら、ぶっ飛べること確実な佳作。

上坂すみれ『恋する図形(Cubic Futurismo)』

作詞者自身による、渾身の連ツイ解説を参照のこと。

ユリイカ臨時増刊号 ダダ・シュルレアリスムの21世紀』

ダダ100周年、アンドレ・ブルトン生誕120年/没後50年、ということで、本来ならダダの再評価で盛り上がってもよさそうなものだったが、案の定、この国ではダダは過小評価されている。この臨時増刊号も、特集名とはうらはらに、ほぼシュルレアリスムに紙面が割かれている(と感じるのは、判官贔屓によるものかもしれない)。

北山研二「デュシャンとダダ」だけでも読むべきだ。デュシャンがいなかったら、20世紀なんて存在しなかったも同然だ。分かりきったことではないか。馬鹿馬鹿しい。

LogicoolのキーボードK750R

アイソレーションタイプのキーボードで、打鍵感がすばらしい。ソーラーバッテリーで、USB無線で、ちょっともう、これなしではモノを書くことが考えられない。

ブレット・コントレラス『自重筋力トレーニングアナトミー』

去年末から筋トレを続けていて、もちろんウェイトトレーニングを中心にやっているのだけど、ワークアウトの締めに、体幹をオールアウトにもっていくには、やはり自重トレーニングは重要だ。これ一冊あれば、レパートリーに困ることはない。ジムに行っていないときにも、体幹だけは(へばりやすく、回復しやすいので)絶えずいじめる癖をつけておくべきだ。

岡田隆・石井直方『ウェイトトレーニングビッグスリー再入門』

きわめて基本的なビッグスリーの入門書。熟練者にはものたりないようだけれど(Amazonレビューを見るに)、まったくの初心者としては、DVDで細かく理論的に教えてくれる本書がありがたかった。

BlutoothのイヤホンQY8

ジムではずっとこれを使っていた。まあ、これじゃなくても、ブルートゥースイヤホンならなんでもいいとは思うけど。TUT(Time Under Tension)の自作タイマー音源、TABATAタイマー、あとたまにエアロをやるので、ニーナ・クラヴィッツのDJなどを聴いていた。

『MONKEY Vol.9』

「短編小説のつくり方」という特集だけれど、ハウツーものではない。たくさん短編が載っている。グレイス・ペイリーの未訳だった短編が、翻訳されているので、それだけでも買いでは。

村上春樹『女のいない男たち』

今年は小説が不作、というわけでもないけれど、去年買った本ばかり読んでいた(一番読んだのは長田弘の『長田弘全詩集』だった)。

村上春樹のこれも、文庫化するのを待っていた、というわけでもなく、まだ読んでいないなあ、と思っていたら、文庫化されてしまった、という感じ。一読、微妙な感じがしたのだが、数年後には名作になっているような雰囲気をもっている。変な褒め方だけど。一読微妙なんだよ。あれえ、っていう。でも、ここ数年の春樹って、だいたいそんな感じではなかったかな。BOOK4は出ないんですかね。来年2月に長編が出るみたいだけど。

特別お題「2016年を買い物で振り返ろう」 sponsored by 三菱東京UFJ-VISAデビット

ネットプリント毎月歌壇に短歌が掲載されました(2016年11月号)

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先月は谷川電話さんにとっていただいたのだけど、今月号では石井僚一さんにとっていただいた。

  • 淋しいとラジオが沈む海があり胎内が星くずで満開 斎藤秀雄

「ネットプリント毎月歌壇」の今年度の選者は石井僚一さんと谷川電話さん。

11月号は11月20日発行で、全国のコンビニで一週間限定でプリントアウトできます。

先月も書いたのだけど、「ネットプリント毎月歌壇」は選評が素晴らしく、「選評芸」と呼んでも過言ではない、エンターテイメント性を備えていると思う。短歌なんて知らないよ、という人でも、読んで面白いだろうと思う。

先月、谷川電話さんにとっていただいた歌は、

  • 無調整豆乳といふ破裂せる乳房のごときもののうたかた 斎藤秀雄

というもので、谷川さんは《かっこいいぜ》と評してくださった。また、《語り手の内面をほとんど読み取ることができない》ところが《好きな理由》とも言っていた。今月の「淋しいと」の歌に比べると、先月の「無調整」は、「内面」が、ちゃんと言えば「思考」が、希薄というか、別に隠しているわけではなくて、なんというか、「欲望」がダダ漏れなところがあって、かっこつけていうと「自分の欲望を何かに託すのではなくて、そのまんま写生した」というところがある。だから、《感情や思考》が表現されるわけはなくて(欲望には感情が伴うことがあるけれど、欲望自体は感情そのものではない)、《わかりにくい》ものであるのは、しょうがないと思う。でも自分の欲望そのものの写生だから、自分にとって大切な歌になっていて、「無調整」の歌を投稿するのは、勇気がいった。自分では「なんでかわかんないけど、めちゃくちゃ良い」と思う歌なので。だから、谷川さんにとっていただいて、非常に嬉しかった。

今月の僕の歌:

  • 淋しいとラジオが沈む海があり胎内が星くずで満開 斎藤秀雄

について、石井さんは《…内側から発光するような印象を受ける。沈んでしまったとしても生命は輝き続ける。この歌の声はそういう肯定的なメッセージを光とともに発している》と評してくださった。この評も、嬉しい。「無調整」の歌に比べると、分かりやす……くはないんだけど、それでも僕の感情とか思考とか、そういうものに「沿って」いると思う。「欲望の写生」ではなくて、心の中を流れていく思考/感情の経路に従ってイマージュを接続していっている、そういう歌ではないかなあ。

「淋しい」という感情語を書けたのは、最果タヒさんのおかげだと思う。最果さんの詩に「さみしい」ということばが出てきたからといって、書いている人に「さみしい」という感情が伴っているわけではなくて、それは最果さんのブログとかインタビューとかを読んでもらえれば分かると思うけれど、感情語って、「愛」とかと同じで、抽象的じゃないですか。で、僕の場合は、こういうエクスキューズ(「最果タヒだって書いているんだから、書いていいじゃないか」みたいな)を入れないと、まだ、たぶん書けないのではないかなあ、と思っている。

この歌の最後、《星くずで満開》は、もともとは、たぶん《星くずでいっぱい》と書いたんじゃなかったかな。記憶が曖昧だけど。《いっぱい》だと陳腐だから、《満開》にしよう、と書き直したような気がする。《この歌の声はそういう肯定的なメッセージを光とともに発している》という評は、この歌を僕が書いたときに考えていたことよりも、もっと正確に、僕の考えていた(感じていた)ことを表現していると思う。

きみは「はてなブロガーに5つの質問」にこたえるぼくが好き

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はてなブログ5周年ありがとうキャンペーン

はてなブロガーに5つの質問」

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

はてなユーザーになってから13年ぐらい経つけれど、ブログは別のところのを使っていた。昔、ダイアリーは使っていたが、新しい環境が欲しかったので、移行した。いろんな分野について雑多に書き散らしていたのだが、技術的記事は関係ない人にとってはほんとに関係ないよなあ、とか、いろいろと思うところがあって、切り離すことにした。それで2年前にはてなブログを使い始めた。が、結局、技術ブログにならなかった。ググれば分かるし、Qiitaもあるし、自分が書く必要もないよなあ、と思って。きっかけはそんな感じ。

2. ブログ名の由来を教えて!

2012年にはじめた本ブログのタイトルが「orangeProse」で、そこから切り離したものなので、「別館」。

1996年ぐらいにはじめたテキストサイトがあって、元々は「Isolationism」というタイトルだったのだけど(アンビエント・コンピレーションにそういうタイトルのアルバムがあって、そこからとった)、後に「orangeProse」と改名した。

英語に"velvet prose"という言い回しがあって、「ゴテゴテと飾り立てた散文」みたいな、あまりいい意味で使われない言葉かもしれない(し、そうでもないのかもしれない)。この言い回しを改変したのが「orangeProse」。

"orange"を使った理由はたぶん、ふたつあって、ひとつは、Macを買い替えたときにちょうどクラムシェル(スケルトンカラー)のiBookが発売されて、タンジェリン・カラーのものを買った、ということ。タンジェリンにした理由は、タンジェリン・ドリームが好きだったから。というのはあと付けの理由で、本当はソフマップでタンジェリン・カラー以外が売り切れていたから。

もうひとつは、"orange"はLSDの俗語でもあって、電気グルーヴも「ORANGE」っていうアルバムを出してますね。いま、あれ? と思って辞書をいくつか引いたのだけど、「orangeがLSDの俗語」と書いている辞書がひとつもないんですね。当時は書いてあったはず! いちおう、『リーダーズ』には"Orange Sunshine"が「LSDのオレンジ色の錠剤」と書いてあるのだけれど。おかしいなあ。幻覚を見たのかしら。

そのようなわけで、「orangeProse」は、サイケデリックな散文、ぐらいの意味でつけた。

3. 自分のブログで一番オススメの記事

さいきん、長田弘の詩集について連続記事を書いた。それが自分では気に入っている。でもなあ。詩とか、自分がやっている朗読とか、そういうのは本家ブログの方でふだんはやっていて、なんでこれだけはてなブログにアップしようと思ったのか、自分でもよく分からない。

4. はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

良かったことは、やはりMarkdownで書けると、超ハイスピードで書き殴れる。こんなことならはじめからはてなブログにしておくんだった、と後悔した。

気づいたことは、やはりMarkdownで書けると、超ハイスピードで書き殴れること。

5. はてなブログに一言

とくにありません。

そういえば、はてブのキャンペーンで分厚いパーカーが当たって、クソ暑い夏に届きました。ようやく最近役に立ってます。

http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary